信仰生活をしていると、
たまに「予告編」みたいな日がある。
土曜日にふと出会う、
「何コレ?」という出来事。
その意味は、その時は分からない。
けれど翌日の主日で、ふっと輪郭が現れて、
その週のどこかで回収されていく。
だから最近は、
土曜日に何かが起こると、少しだけ思う。
「これは、何の伏線だろう」と。
心について
翌日、教会で聞いた御言葉の主題は、
「命の御言葉」。
その中で語られていたのは、
「心」についてだった。
心とは、一生付き合うものなのに、
それについて教わった記憶はあまりない。
けれど御言葉は、
その心がどれほど変わりやすく、
そしてどのようにつくっていくのかを、
易しく、けれど細やかに教えてくれる。
〈人は心で生きていく〉
その一言が、どこか現実味を帯びて迫ってきた。
雄大さ
この日、強く心に残った言葉がある。
「雄大さ」
たった三文字なのに、
なぜか、その言葉だけが深く沈んでいった。
雄大な心って、何だろう。
何をしたら、
それはつくれるんだろう。
……???
思い出したもの
その帰り道、ふと思い出したのは、
前日に観たドラえもんの映画だった。
命の危険を顧みず、
敵に向かっていく大胆さ。
長く続いた慣習を越えて、
自分で選び、行動する姿。
最初は、それが「雄大さ」なのかと思った。
けれど、よく見ていると、
その奥にあったのは、もっと静かなものだった。
誰かを思う気持ちや、
良心のようなもの。
…雄大さって、
もしかしたら「愛」なんだろうか。
探していたもの
そう思いながらも、
どこかしっくり来ないまま、時間が過ぎていった。
「雄大さって何だろう?」
その問いを持ったまま、
ふらりと本屋に立ち寄った。
特に何かを探していたわけではないのに、
自然と足が止まった。
視界に入ってきたのは、
ナ・テジュという名前。
1945年3月16日、忠清南道出身。
韓国を代表する詩人。
풀꽃(草花)
じっくり見てこそ美しい
ずっと見てこそ愛らしい
きみもそうだ
とても静かな言葉だった。
けれど、
なぜか少し、息をのんだ。
この数日で出会ったものは、
壮絶な出来事でも、
大きな武勇伝でもなかった。
ただ、
驚くほど素朴で、
純度の高いものばかり。
奏でる
それから数日後、
久しぶりに奏楽をする日が来た。
気づけば、140日ぶり。
この期間、自分はずっと、
自分の限界を広げるような日々を過ごしていた。
仕事に制作、ある時はレコーディング。
そしてマーチング。
疲れていても、もうひとつ、もう1セット。
決めたことは、前もってやりきる。
諦めずに最後まで。妥協もなし。
そんな小さな積み重ねを
(だけど私にとっては大きな1歩)
繰り返し続けていた。
そんなこともあって、
12時間眠り続けるほどの疲れが残っていた週のはじめ。
正直、体は重かった。
それでも週の半ば、
楽器を手にしていた。
考えるよりも先に。
演奏自体は、これまでと大きくは変わらない。
けれど、
ひとつだけ違うものがあった。
「やらなければ」ではなく、
「したい」という心で立っていたこと。
この数ヶ月の積み重ねの上に、
はじめて、そう思えている気がした。
あらかじめ、そこにあったもの
雄大な心って、なんだろう。
あのときは分からなかったけれど、
この一週間で出会ったものを思い返してみると、
ひとつだけ、共通している気がする。
それは、
大きなことをすることではなくて、
誰かを思って選ぶことや、
静かに差し出していく心。
それが、雄大さなのかもしれない。
ほんの少しだけ、
触れた気がした。
