今年、母からもらった誕生日プレゼントは絵本でした。
母はとても審美眼のある人で、そうかと思えばまるで少女な一面もあり、とても可愛らしい人。
感じたことは音や物など、言語以外で伝えることが得意なタイプ。
そんな母と2023年初夏、2人でフランス旅行に行きました。
不器用ながらも最大限の真心でアテンドをしたのが伝わったのか、もらった絵本にはフランスで見せた私の姿と思わせる様子のねこちゃんが描かれていました。
“どんな時もにこにこしているけど、何かあったらいつでも話を聞くからね”と最後にメッセージを添えて。
母に接したことは私にとって自然なことで、特別何かした覚えはありませんでした。
(いやちょっと待てよ。母に「アイス食べたい」と言われたら、街中でアイスを食べてる人を走り回って捜し、「マダム、そのアイスどこで買えますか?」と慣れないフランス語で尋ねて買いに飛んで行ったっけ…)
ただ、「神様を恋人として愛するように、両親にもそのような愛で接しなさい」という御言葉を渡航直前に一瞬目にしたときに感動して、先にする愛は意識していたかもしれません。
フランスは神様と人が共に生きた経緯の地なので、神様が母に見せたいところがたくさんあるはず。
お母さんを思いっきりもてなし、愛することができるように、私は神様の体になろうと思ったくらいでした。
結果として、
真心が伝わっただけでなく、受け取ってもらっただけでなく、分かってありがとうの気持ちを形として返してくれたことにびっくりして、はたはたと涙が流れました。
神様の心を知る方法はたくさんあるけれど、神様の心で人に接するときに神様の心を感じられるし本当に感動的。
地上で解いたことは天でも解かれると聖書に書いてあるけれど、神様の考えを地上で行ったときに解けるのだなと悟りました。
どんなときも神様といっしょに。