2024年、母の日企画が決まったのは、母の日(5/12)が終わる3時間前。
全力の礼拝奏楽で力尽きてた日曜日の夜に何もしないまま終わるのもアレだなと思い、せめてLINEメッセージをと力を振り絞ってスマホを開いたら、手が勝手に?文章を打ってました。
「明日から1週間、お母さんにメッセージを送るね!」と。
1日では伝えきれない。もっと大きくたっぷりと母の日を祝いたいー
体と気力の疲労からは考えられないアイディアに、私の考えではなく神様っぽいなと思いつつ、「一体どうすればいいんだ..」と考えている内に、いつの間にか寝落ちてました。
日替わりで祝う、壮大な母の日プラン
月曜日:神様
火曜日:聖霊様
水曜日:御子
木曜日:イエス様
金曜日:神様
迎えた当日に思いついたのは、毎日お祈りをして三位やイエス様からもらった構想をメッセージと作品にして贈るという企画。
命の誕生のため、出産までに労苦した経緯、私がミッション系の幼稚園に通うために、長距離の送り迎えをしてくれたことなど、母が人知れず真心を尽くしたこと、それがどんな意味を持っていたかというのが主な内容でした。
人間の目から見たら当たり前すぎて感謝されないこと、目立たないこと、とても小さいことを神様は本当に大きく見てありがたく思い、誰よりも大事に思っている心情を感じるしかなかったです。
詩、画像や写真、AIイラスト、動画まで形になったものを見ながら、手を動かしたのは確かに私だけど、構想は神様はじめ各位なので、その個性が出た表現にとても感動しました。
5歳で自ら教会学校に通った経緯
母の日改め、母の週を経て母と会い、食事と散策しながらたくさん対話をした中で、母が教会学校に通った時の話を聞きました。
家庭は無宗教かつ、幼稚園はミッション系でもなかった母自ら教会学校に通い始めたのは、驚いたことに御年5歳。
「一体何が、ちびちゃんな私を揺り動かしたのかしらね」
不思議そうに話している母に私の口はあんぐり。
神様が呼ばれたんだなぁと、じーんとすると共に、そのような経緯の上に私が摂理に呼ばれたのだなとおもいました。
(それにしても5歳って幼稚園の年中さんよね…ほんとすごい)
悩みが全てなくなった
毎日母とLINEでやりとりする中で衝撃を受けたエピソードを最後にもうひとつ。
話の流れで「人には悩みが尽きないけれど、」と送られてきた文章を見て、「あれ,,,待てよ。私、悩みない」と口から出てきました。
正確に言えば、完全につくられていない自分の思考の癖や習慣から来る問題はあるんですが。
母に会ってその話をしたとき、どのようにして聖書を学ぶようになったのか、テレビで”神様はこうだ”と言ってる場面があったけど、あなたならどう解くかと質問されて、自分に起こった経緯や聖書を基に伝えたら「理解できる」と話してました。
母の反応を見ながら、神様や真理について、イエス様から正確に学んだ鄭明析牧師が教えてくれた聖書について伝えたことはやはり正しかったのだなと改めて。
昨年末のクリスマス礼拝で私がもらった聖句カードを見せたとき「これからあなたは神様のお使いをするのね」と話した母に、どこまでできたかはわからないけれど、この半年で少しでも実践できたなら嬉しいです。