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かみさまの計画、わたしの計画

1週間でパフォーマンスが落ちやすい日は木曜日、という記事を目にしました。

変則的な気温の変化と、日々の生活で積み重なった疲れを感じつつ、珍しく予定ゼロなある木曜の夜。

空白時間が妙にうれしくて、「ゆっくりyoutubeでも見て、夕食後は大事にとっておいたりんごを剥いて、デザートに食べよう!」と、ささやかな楽しみを計画して食卓につきました。

食前のお祈りが終わり、パソコンの電源を入れて”さぁ自由時間!”と思ったのも束の間、間髪入れず6文字が頭に浮かんだのです。

 

御言葉見よう

 

同時に脳中には、見るべき御言葉がぼんやり再生された様子まで見えます。気の所為だと思いたかったけど。

私は「youtube×りんご=うれしみ!」という明確な意思があったので、上記の考えは誰とは言いませんけど、少なくとも私ではありません。

余談ですが、私の場合、構想は脳中にイメージとして見えるタイプ。読書していると内容が映像として見える人も少なくないそうですが、まさにそれです。

疲れた頭で御言葉を聞いても「集中できない」「(きっと)頭に入らない」「楽しくない(はずだ)」とないない尽くしが私の本音。

しかし、信仰を持つ前から、イメージできたことはその流れに乗っておいた方がベターだと経験上分かっていたので、ここは仕掛人、、神様に従うしかありません。

私の計画は諦めて神様に従順しようと、夕食もささっと終えて準備しようとしたら、なんと切ってあるりんごひとかけらが冷蔵庫に残っていました。

りんごを食べたいですと言ってないのに、あらかじめ用意したのが偶然ではなく、神様だったとしたらー

一体どんな気持ちでひとかけらのりんごを備えておいたんでしょうか。相手が食べたいりんごを用意して、ブルーな気持ちをハッピーにさせて、そこまでして御言葉を聞かせる神様。

全能者にここまでさせるってなんだかなぁ…と思いつつ、悟るべきはこの真心と愛!とその気持ちを受け取って、心に感動のある御言葉を視聴したら、本当に良かったです。

1年過ごす中でいつの間にか蓄積してる家の汚れのように、何かがチリツモになって詰まっているような感覚。だけど日常にぴったりくっついているからなかなか異物として分かりにくいのが悩みでした。

それはまさに自分の考えだったわけですが、主観によって縛られた問題がすっきり洗い流される内容で気分は爽快。聖書の話は明快で、笑い込みの内容は腹を抱えて笑うほど痛快。

コンディションを左右するのは自律神経だそうで、心身を健やかにするために意識したいのが「リセット」なんだとか。悪い流れを断ち切って変化をつけることが大事なんだそうですが、心も頭も体も見事にリセットされた時間になりました。

 

かみさまの計画と、わたしの計画ー

世界で一番忙しいのは神様で、神様とて少しは休みたい心があっていいはずなのに、この数時間だけでも神様の計画には私への愛しかなかったなと改めて。

忙しい師走もあとすこし。

こんな時だからこそ、神様だけのための時間を計画しようと思った木曜日の夜。

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