MENU
アーカイブ

楽器を電車に置き忘れて得た、10年目のプレゼント

先日、電車に楽器を置き忘れました。
冷や汗ものでしたが、それ以上に妙に静かな時間が流れていたのを覚えています。

その日はちょうど、伝道されてから10年。
なんで今日に限って、こんなことが起きるんだろうと思いました。

目次

きっかけは、スマホ

原因ははっきりしていて、急ぎの連絡に集中していたからです。
人にとってはただのケースに見えるあの黒いバッグ。
私にとっては、ヨーロッパもアジアも一緒に旅してきたソプラノサックスが入っている、いわば自分の一部みたいなものです。

駅に電話しながら、焦りよりも「これは何か意味があるのかもしれない」と思っていました。
そのくらい、変に冷静な自分もいました。

持ち主以上に喜ぶ駅員さん

結果的に、楽器は途中の駅で見つかり、当日中に戻ってきました。
引き取りに行くと、駅員さんが「本当によかったですね」と、私以上に安心した顔をしていて。
中身を確認するための机まで出してくれて、「ここで開けてみてください」と声をかけてくれました。

本体も付属品も無事で、すべて揃っていました。
対応のあたたかさに少し驚いて、言葉が出ませんでした。

「貴重」という言葉が、自分にも届いた日

今回の件で、ふたつのことを悟りました。

ひとつは、あのとき重要なやりとりをしていたからこそ、「もし楽器一本で済むなら、それでいい」と自然と思えた自分がいたこと。
所有物への執着より、目の前の問題に向き合うことを選べた自分を、少し誇らしく思いました。

もうひとつは、逆の気づき。
どんなに大事なことに取り組んでいたとしても、「自分を置き去りにしてはいけない」ということ。
楽器を忘れたことが、自分自身をどこかに置いてきたような感覚に重なって、ちょっとだけ胸がざわつきました。

自分を置いてきてはいけない

このソプラノサックスは、誰もが持っているようなものではありません。
それと同じように、自分自身も、簡単に替えがきく存在じゃない。
そんな当たり前のことを、ようやく実感できた気がします。

「あなたは貴重だよ」という言葉は、何度も聞いてきました。
でもそれを“感じる”のって、ちょっと難しい。
自分よりも誰かや何か全体最適を優先する習慣によって、価値を見出せなかったのかもしれません。

でも、楽器が網棚に乗せられたまま電車が去っていく様子が脳内に描かれると同時に「自分を置いてきてはいけない」と頭に浮かんだ瞬間、新しく生きた感覚を得るようになりました。

楽器が、もっと好きになった

10年目の節目に起きた、ちょっとした事件。
でもその裏側に、すごく大きなメッセージが隠れていたように思います。

18年前に出会ったあのサックスが好きだし、これからもっと大切にしていこうと思いました。
それと同じくらい、自分のことも新しい考え、心で見て接していきたい。
そう思えるようになった日でした。

まとめのようなあとがき

感情を大きく動かされる出来事って、いつも突然で、案外静かにやってきます。
今回のことも、派手なドラマじゃないけれど、自分にとっては大切なターニングポイント。

日々の中で、自分を置き去りにしそうになったら——
思い出したい、そんなできごとです。

 

神様、聖霊様は時になったら、祈って願っていたことをしてくださいます。(中略)人がしてくれと言ったことをほとんどほかの方法でしてくださるから、必ず神様に、またしてくれると言った人に尋ねてみて確認しなければなりません。

2025年9月14日主日の御言葉
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次