教会で礼拝のプログラムを進行するとき、大切や役割を担っていることの一つが音楽。
神様に捧げる歌を”賛美歌”と表現してますが、賛美の伴奏をしているのが「奏楽」です。
2021年、礼拝奏楽の隊長という役割をいただくことになり早7ヶ月。
コロナウイルスの感染拡大防止のため、実質的な伴奏を教会で行っていません。
がしかし、止まるどころかむしろ毎月新しい取り組みを行って、笑うしかないほど忙しい1年でした(笑)
詳しい内容は、コンサートミストレス(略してコンミス)の日常blogでお伝えするとして、
今日は奏楽のメンバーたちと共に70日明け方にお祈りをしていた中で、24年越しに気づいた神様からのプレゼントのおはなしです。
明け方70日間祈りの最終日に、なぜか3回祈る
私が所属している教会の奏楽にたくさんの祝福をもらった2021年。
あることはこれから願い求めて祈ろう!と言っていたことを、祈る前にくださったこともあって顎が外れそうなほど仰天し、半ばアワアワ言いながら「こ、、、これは兎にも角にも感謝の祈りをしよう!(あ、、、明け方に!!)」という経緯で始めました。
そして迎えた最終日。
3時前になぜか起きて、自分の祈りよりも奏楽の感謝のお祈りをしなきゃ!!と最初寝ぼけながら思って祈りました。
次に祈ったのはメンバーたちに約束した5時過ぎ。
そしてその日が終わろうとしていたその時、
メンバーHちゃんから「3回目祈りませんか? 私と一緒に!」と突然連絡が来て、仕事帰りにも関わらず熱いHちゃんのお祈りでスッキリ締めくくることになったのです。
最終日に同じ祈りを3回するというのは初めてでしたが、「まぁ例のごとく、聖霊様に何かしらの御心があるんだろうな」って思いながら深く考えず(ォィ)その日を終えたのでした。
サックスを始めて24周年
数日経ったある日の明け方、夢を見ました。
音大を卒業する頃の場面と、CGMに来て賛美歌を歌うようになった2つの場面。
この意味が何なのかお祈りをしていたところ、
「そういえば楽器を初めて何年目だっけ?」という疑問が湧き、確認したら24周年を迎えていたことに気づいたんです。
楽器を始めた日付が、奏楽メンバーたちと70日お祈りの最終日と同じ日。
そしてこの日は、私の誕生日からちょうど70日目でもありました。
70という数字は神様を現す7が含まれている、大事な数字。
スポーツも芸術も、すべては神様が与えてくださるタラント(才能・素質)と何度も聞いてきたフレーズではあるものの、24年越しに実感したことは、ようやく理解の域を越えられた瞬間です。
「あ~神様が私の誕生日プレゼントとして、楽器を与えてくださったんだなぁ。。」と私はしみじみ感慨深く感じました。
親や学校の先生から特別才能がある存在と認識されることもなく、
音大に行っても実力主義な世界観の中、私が楽器をやることの意味や価値はあるんだろうか、、と思うこともしばしば。
練習も楽しいというよりは、苦行(笑)
それでも辞めずに今日まで来てみたら、なんと神様のために音楽をする人生に変わっていました。
音大時代にも知らなかった本物の音楽
「楽器は辞めないでね」
音大を卒業する前、最後のレッスンで師匠に言われたひと言。
とても静かに言われたのに、
何かとても重要な意味をもつ言葉のように感じて、脳に刻まれるようになりました。
ただ、ひとつ問題がありました。
私は幼い頃から音楽は好きだけど、音楽がつまらないという矛盾を抱えていたんです。
音楽は良くても、歌詞が悲しすぎたり。
力をもらいたくて、曲を聞けば聴くほど、言葉自体はポジティブでも詠じられてる世界はフィクションだったり。
そんな私がバイブル・スタディを聞き始めた初日、はじめて聞く賛美歌で涙がぼろぼろ止まらない体験をしました。
しかし。
“いちごはニガテだけど、あまおうは好き“というなんとも贅沢タイプは賛美でも発揮しており、
どうも御言葉を聞き続けていく内に、やっっぱり賛美もなんともしっくり来なくて、マジで困っていました。
そんなとき、もうダメだと思った時に現れるヒーローの如く、
突如登場したのが、鄭明析牧師先生が即興で作詞作曲された賛美歌。
骨の髄から霊魂まで爽快になるほど、やっと音楽に出会えた!!!と感じた気持ちは歓喜そのものでした。
感動の度合いとその効果は、
疲れ切って遅くに眠ったとしても、明け方目覚ましアラームで聞こえてくる賛美歌にまず夢の中の自分が感嘆し、それが肉体にも伝わって「いや~~~~いい曲だ!!!」と言い放ちながら目覚められます。(実話)
鄭明析牧師先生が作詞作曲される曲のタイプは分類しきれないけれどこんな感じ
・過ぎた日に実際に実践したこと、神様が行われたしるし
・経緯から受けた心情
・鄭明析牧師先生が他の誰でもなく、ただひたすら神様に向かう純粋な想いの告白
・神様を信じる人たちの心情を代弁した文学的描写
歌の内容は、全て現実に起こったことから来ているので、
例え私が全てを理解できなかったとしても、この曲で起こったことの主人公が歌われるので力を受けるしかありません。
物語でもなく、鄭明析先生のことだけが描写されているのでもない、現実で実際に起こった、神様が共にされた経緯が歌詞となった、今まで聞いたことがない音楽でした。
気持ちが楽になり、力もたくさん受けられる賛美歌。
たくさん歌い続けていたら、ある日鄭明析先生の指揮で演奏する機会が突然与えられました。
それからも続けて歌っていたら、数年前に礼拝奏楽の使命をいただくようになったのが私のいきさつ。
礼拝奏楽は、自分たちが演奏したい(所謂こう吹けば美味しい感じに聞こえる)スタイルではなく、
奏楽者を通して、神様の心情を現すことが求められます。
もがきもあったりするけど、その分神様が自分を通して行われることをこの上なく近く実感できるのが最高の醍醐味。
「楽器を辞めないでね」という師匠のひと言は、神様が師匠を通して話されたんだと今では確信してます。
楽器人生25年目に、新しい楽器を始めてみた
楽器人生が四半世紀に入る節目のとき、年始には全く予定していなかったチェロを本格的に始めるようになりました。
いきさつは追々するとして、本格的に始めるようになったのが奇しくもサックスと同じ11月。
CGMに来る前から、
“11月はいつも何か始める月だなあ“と感じていましたが、25年目のプレゼントは弦楽器でした。
まったくの初心者だけど、嬉しいのは神様と始められるところ。
もう楽しくて楽しくて、弦を抑える左手の力がほぼゼロでギコギコしててもたのしい(笑)
どうして弦楽器なのか、その中でもチェロなのかはまだわかっていないですけど
楽器でたくさん神様を歌ったダビデのように
神様を賛美してプレゼントのお返しをしたいとおもいます。