前回の記事は、
「さて。本当に、荒野に道はできるのだろうか。」
そんな一文で終わりました。
結論。
道は、ありました。
自分で切り開いたというより、
気づいたら、そこに用意されていた道。
そんな始まりでした。

14日で新約、70日で旧約
新約を読み終え、そのまま旧約聖書へ。
歴代誌で眠くなり、
レビ記では何度も現在地を見失い、
ヨブ記では「これは一体何を読んでいるんだろう」と首をかしげる日々。
旧約通読では、一つの書を1〜2日、上下巻など長い書物でも3〜4日ほどで読み進めています。
平均すると、1日20〜30章程度のペースです。
ひさびさの爆速通読。
でも、不思議でした。
まとまって読むからこそ、一つひとつの出来事が線でつながっていく。
「あ、ここにつながるんだ。」
そんな発見の連続。
神様は、思っていたよりずっと大きかった
新約だけ読んでいた頃。
神様は「優しい方」という印象が強くありました。
イエス様の姿を通して。
でも旧約を読み進めるうちに見えてきたのは、
その優しさの中にある、
聖さ。
厳しさ。
忍耐。
知恵。
そして、それらすべてを包む愛。
神様の良いところを探しながら読み始めた旧約聖書。
創世記では、神様の「すごいところ」を並べるように読んでいました。
でもヨブ記を読む頃には、
神様が何をされたかだけではなく、
その中に、どんな心があったのか。
そんなことを、一つ、また一つ見つける毎日。
神様らしさを、
少しずつ感じ取れるようになってきました。
一番驚いたこと
一番驚いたこと。
神様の伴走は、思っていたよりずっと近かったこと。
読むペースが落ちてきた頃には、
礼拝で「習慣化」についての御言葉。
王たちの時代に入り、人間関係が複雑になって読むスピードが落ちてきた頃には、
「時代性に合わせること」など「聖書の読み方」についての御言葉。
誰にも話していない。
それなのに、
必要な御言葉だけが届く。
「神様、本当に見ておられるんだ。」
そう思わされる出来事の連続でした。
もう一つ、忘れられない出来事があります。
通読40日目。
ちょうど、ダビデが楽器の務めを整える場面を読んでいました。
翌日は、マーチングの夏合宿。
最初に配られたメッセージカードには、こう書かれていました。
本当に驚きました。
今回の通読では、ダビデの失敗や弱さも続けて読んでいたので、
以前抱いていた尊敬の気持ちが、少し揺らいでいたんです。
でも、この一言で見方が変わりました。
自分の視点から、神様から見た時の視点へ。
陰りが入りかけていた認識に、
もう一度、光。
そんな出来事でした。
「見よ、わたしは新しい事をなそうとしている」
最初にもらった、
AIを通しての”聖句のプレゼント”。
あの時は、
まさかこんな旅になるとは思っていませんでした。
でも今なら分かります。
あの「やがて」は、
遠い未来の話ではありませんでした。
神様と一歩踏み出した、その時から始まっていたこと。
荒野に道は、確かにありました。
そして、その道はまだ続いています。
次に開かれたのは、詩篇。
神様について読んできた旅から、
今度は神様を歌い、祈る旅へ。
ここから先では、
どんな神様の心に出会えるのだろう。
そんな期待を抱きながら、
今日もまた、一ページ。
明け方に祈ることを習慣づけなさい。聖書を読むこと、讃美すること、伝道すること、御言葉を教えること、命を管理すること、御言葉を強く実践することを習慣づけなさい。よいことは習慣づけ、悪いことは捨てなさい。
2026年7月15日水曜日の御言葉 「神様の愛の目的」より
