自宅の浴室をリフォームすることになりました。
20年以上使っていたお風呂です。
建築当初から使っていたものが
ひとつの期間と
役割を終えてなくなるというのは
なんだか不思議なかんじ。
工事のあいだ、
しばらく銭湯に通うようにと言われました。
毎日ちがう
大きなお風呂に入れるというのは、
非日常でおもしろそう。
調べてみると
東京には、意外と天然温泉があります。
こんなことにならなければ、
きっと知らないままだった。
不便なはずなのに、
なぜか、わくわくしながら
お風呂セットをかばんの中へ。
仕事帰りに、天然温泉ってご褒美のようにすら感じます。
ある日、1948年創業の銭湯へ行きました。
どこか当時の面影が残る脱衣所。
一人掛けのソファに設置されたドーム型のドライヤー。
きょろきょろしながら様子を見ている新参者に、
湯上がりのおばあちゃんは
「珍しいだろう?」と声をかけてくれました。
さらに、大浴場には
お湯が出やすいシャワーがあるらしく、
「お嬢さーん!あっちあっちーー!!」
と、突然ガラッと扉を開けて大きな声で教えてくれます。
その声は、きっと銭湯中に響いていたと思う。
(いや、まちがいなく響いていた。)
はじめての人にも
関心を持ってあれこれ声をかけること––
少し驚きながらも、
戦後の昭和ってきっとこんな感じだったんだなと新鮮でした。
数日後、我が家のお風呂は完全に新しくなりました。
1940年代の銭湯から、
一気に2026年の最先端へ。
たった78年で
こんなに時代って発達するのかと
思いながら、
新品のお風呂に感動するしかなかったです。
ところで、
長年使っていた自宅のお風呂は、
掃除にも手がかかっていました。
少し放っておくだけで、
すぐに気になるところが出てくる。
けれど新しいお風呂は、
むしろ強くこすらない方がいいらしいです。
気づかないうちに、
いろいろなことが解決されていました。
その翌日は、主日礼拝。
こんな話を聞きました。
古いものをそのままにしておいては、
新しくはならない、と。
前の日に、
お風呂が新しくなったばかりでした。
長く使っていたものがすべて取り除かれて、
はじめて起きたあの変化。
だからこそ、
その言葉に納得感がありました。
きれいごとじゃなくて、
ちゃんと現実の話として。
表面だけではなくて、
根本から変わるというのは、
こういうことなのかもしれないなと。
古いものをなくす過程は、
少し不便に感じることもあります。
でも、そのあいだに、
思いがけない出会いや、
それまで知らなかった楽しさもあって
おもしろかったです。
そしてすべてが新しくなったとき、
問題が、すっきり消えていました。
人はそれぞれ、
インスピレーション(ひらめき)を
受けやすい場所があるといいます。
私の場合はバスルーム。
お風呂に入るとき、
よくアイディアが浮かぶなと気づいたのは
確か高校生の頃。
場所が変わると、
受け取るものも、少し変わりそう。
そういえば、
自分にも、そういう場所があったなと
思い出す人もいるかもしれない。
新しくなったお風呂で、
これから何を受け取るのか
楽しみです。
続けてすべきことを行なってはじめて答えを悟って問題を解きます。
2026年4月12日 「行なわない人は死んだ人だ」より
行えば神様、聖霊も私たちと共に行なってくださるから心配しないでやればいいです。
