「水泳も学んでみなければならない」
そんな御言葉をきっかけに、数年ぶりにプールに足を運びました。
水泳なんて、小学生ぶり。
当時はフォームを褒められ、みんなを代表して賞をもらったこともありました。
けれど、大人になって久しぶりに泳いでみたら、まったく思うように進みませんでした。
ちがっていた
レッスンを受けたときに言われたのは、
「フォームが違う」という一言。
懸命に水をかいても前に進まず、沈んでしまい、水を飲むこともありました。
でも学んでみたら、そこには全然ちがう泳ぎ方があったのです。
ほんの少しの力で、水に身を乗せるように進んでいく。
思ったよりも体に負担がかからず、楽で、驚くほど呼吸も整いました。
こんなに力を入れなくてよかったなんて。
教会で聞いた御言葉には、続きがありました。
「水泳を学ぶように、人生の生き方も悟らなければならない」
あんなに必死で泳いでいたのに、
本当はそんなに力を入れる必要がなかった。
——この気づきは、自分の生き方にもそのまま重なる気がしました。
多くの人は「努力=力を入れること」と思いがち。けれど本当は「正しい姿勢」「正しい流れ」に身を委ねたほうが遠くまで進めることがある。
水の力に逆らわずに泳ぐように、人生も“何かに委ねる感覚”が大切だと感じました。
力を抜くことで見えてくる、前に進むフォーム。
そこに、御言葉の知恵を感じました。
静かに、でも淡々と。
ある人がクロールの練習をしていました。
足にはビート板を挟み、腕だけで泳いでいる。
25メートル泳ぎ切るまで、一度も息継ぎをしない。
その動作を、40分間、繰り返していたのです。
大きな音もなく、派手さもない。
ただ静かに、ゆっくりと、でも絶え間なく。
それを見て、ふと思い出した御言葉がありました。
「人は作り方次第だ」
本当にそうだなと感じました。
人はこんなふうにつくられる。
そして、自分もまた、こんなふうになっていけるのかもしれない、と。
ワークアウトを終えて
「お疲れ様でした」とジムで渡された17の背番号とサインが入ったスポーツドリンクを片手に外に出ると、急に涼しくなって、空の色もやわらかくなって。
自然と心の動きも変わっていくのを感じます。
この流れの中で、
私はどうつくられていくのか。
その構想を、受け取りたいと思うようになりました。
信仰は、どこか“特別なこと”ではない
教会で聞く御言葉は、
たとえば、こんな風に小さな体験にもそっと寄り添ってくれます。
そしてそれは、「信仰=日常の生活術」ではなく、「信仰=毎日の目線を変えるレンズ」になっているということ。
このレンズがあると、普通の出来事が全部“気づき”や“学び”に変わっていく。
これは都会的で忙しい日々の中だとしても、どこまでも心地よく、そして静かな力強さを感じさせてくれます。
10月のヒント:整える・委ねる・淡々と
10月は、「構想を受け取る準備の月」になりそうです。
何かを急いで決めるより、
心のフォームを整えるように、静かに歩幅を合わせてみたいと思います。
- 選ぶより、委ねる。
全部自分で握ろうとせずに、御言葉に身をゆだねてみる。 - がんばるより、調和する。
“静かに、軽やかに、でも淡々と”を実践する。時に合わせて。 - 余白をもつ。
空を見上げる、深呼吸をする、静かな音楽を流す。
ほんの少しの余白から、御言葉は語りかけてくれることがあります。
この気づきは、きっと「構想のはじまり」。
水の中で力を抜くように、
これからの自分もまた、御心の中で自然にかたちづくられていくのだと思います。
つくられる前に、整える。
それは決して遠回りではなく、最も美しい準備のかたちなのかもしれません。
自分を神様、聖霊、主が喜ぶとおりにつくったら、三位と一緒に生きていくようになります。自分を貴重につくってこそ、畑に隠された宝も見つけ出します。時代の深い完全な御言葉で心の畑を深く耕してこそ、各自個性の宝を発見します。
2025年9月28日 主日礼拝 『1.自分をまずつくってからやりなさい 2.相手の心理、心、顔を見ながら話しなさい』 より