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幼子の心をもつために|おばあちゃんとの思い出

そういえばつい最近、おばあちゃんの命日だったと思い出すようになりました。

私が小学校低学年のときにお別れをしたので、おばあちゃんとの経緯は多くはなかったけれど、その分印象的に心に残っていることがあります。

 

おばあちゃんが住んでいたのは日本の南、離島の地ということもあって、会えるのは年に1回か2回。
おおらかで優しくて温かく、島の言葉はよく分からなかったけど魅力的で、おばあちゃんのことがとっても好きでした。

 

夏休みのある日、お手伝いをしたくて食後にお皿洗いをしたんですけど、手を滑らせて食器を割ってしまったんです。

私はとってもショックでした。

大好きなおばあちゃんの役に立ちたくて、喜んでほしくてお皿洗いをしたのに、むしろ割ってしまったから。

 

失敗したのが悔しくて泣いていたとき、おばあちゃんが飛んで来てひと言。

「よくがんばったね~!手切ってない?だいじょうぶ?」とニコニコしながら島特有のイントネーションで温かい雰囲気を瞬間にしてつくり、まるでなんでもなかったかのように一緒に洗い物をしてくれました。

 

「ありがとうね~、ほんとうにうれしい」と何回も口にしながら。

 

大家族の母から来る寛容さと懐の深さだったとも振り返りつつ、「ほんとうにうれしい」のひと言は、私を慰めるために言った言葉ではなくて”ほんとうにそう思っている” “あ、気持ちをわかってくれた“と幼心ながらに、でもとても敏感に感じたことを今でもはっきり覚えてます。

 

今週の礼拝で伝えられた御言葉「幼いからといって叱り、止め、たしなめるな

 

社会で戦ってきている内に心が頑なになったり、議論してるつもりでも、正論で相手をやっつけてしまったり、、
“いつの間にかオトナになってしまった今日のワタシ”としてはなんとも耳の痛い話でもありましたしょーじき!(笑)

 

どうしたものかなぁ。。と思ってた中で、幼子の心や感覚をこのタイミングではっきりと思い出せたことから「あ、聖霊様が働きかけてくださってる」と気づいたんです。

 

御言葉を聞き始めたとき、良心が痛む話には心苦しい気持ちにほとんど支配されて落胆してたけど、信仰生活を始めて5年が経った今は「今週変われるチャンスだ」「御言葉が出た週ということは、(できる流れになってるから)必ず成される」という認識に転換。

今週の御言葉、どう実践したらいいかヒントをもらった週のはじまりでした。

 

それにしても、おばあちゃんの愛は深くてでっかい。

これと同じく、いやそれ以上に、神様の愛は果てしない。

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