「starbucksギフト券の有効期限が12月31日に切れます!」という思いがけないアラートがLINEに届きました。
年末最後の日まで神様に栄光を帰する作品を制作していた中、年内残り数時間という時に、スタバになんとか駆け込み成功。神様としっぽりデートよろしく、久々にゆっくりと対話する時間を持ちました。
振り返る中で、今年がどんな年だったかとひと言で現すとしたら「ひたすら神様に讃美をした年」
スタバの新作、チャイ & ホワイト チョコレート ティー ラテ(オススメ!)と宇治抹茶シフォンケーキを頬張って至福のひと時を味わいながら回想した讃美の2020年、ハイライトと共に讃美のあれこれをご紹介します。
世界中で讃美
2020年の年初は海外にいました。
神様が共にする旅行というのは半端ないです。通常のフライトスケジュールを操作することだって朝飯前な全知全能な神様。今回は、トランジットする予定がまるでなかったドバイ(中東)を経由してヨーロッパ入りを果たしました。
アジア、中東、ヨーロッパと行く先々でとにかく讃美をしていたら、面白いくらいに奇跡が起こりまくったので一部をご紹介。
- 周辺をうろついてた、ちょっと怪しげなおじさんが一目散に退散する(空港にて)
- 野外で讃美を歌い終わった直後、世界遺産のノートルダム寺院の鐘が街中にカーン!カーン!と鳴り響く(同じ曲を別の日に歌ったら、全く同じ現象が起きたので、タイミングの良さに開いた口が塞がらなかったです)
- 人がいない教会でチャンス!とばかりにのびのびと歌っていたら、終わった直後に多くの人が続々と教会に入ってくる
- 比較的室内が暗い教会で讃美したら、ステンドグラス越しに太陽の光が差し込んで神々しい雰囲気へと場の空気が一変
後日談としては、ドバイで讃美をした日からちょうど100日以上経過した節目となる日、イスラエルとUAEが国交正常化するというニュースが飛び込んで来たこともありました。
単なる偶然!とも思いましたが、神様の歴史には偶然というものはありません。讃美した後のわかり易すぎる神様からの反応を立て続けに見てきた私からしてみると、讃美1曲の威力がハンパなさすぎることを痛烈に感じるしかなったです。
「讃美ってそんなにすごいのか…?」というのが、2020年の年初に浮かんだ問いでした。
イチから音楽をやり直す
讃美って何やねんという疑問を持ち始めたのもつかの間、コロナが全世界に到来。
2月下旬から日常的に楽器が吹けなくなるようになりましたが、私にとってはチャンスが訪れました。
それは、「音楽をゼロからやり直したい」という水面下で願っていたことの実現です。20年以上続けてきたサックス。今までのスタイルを崩して創り変えたいという願いを2019年から感じていて、なんとそれが実現したのが2020年でした。
神様がどのように音楽を学ばせるように導かれたのか、プロセスの一部を書いてみたいとおもいます。
聖書(詩篇)で讃美/芸術の根本を知る
一番最初に神様が私にさせたことは、聖書を読むことでした。
讃美/芸術というのは「告白」なのだということが私が受け取ったメッセージであり、ここでの学びでした。
特に一番感動したのは、詩篇90編にある「モーセの祈り」。
なんというか、熱いんですよね。心が。
日本民族にはない熱い告白。
心情の豊かな表現と言語化にすっかり感動して脱帽しました。
そして、神様を信じて生きるというのは、シンプルに美しいなというのが私が感じたことでした。
美しいもの好きな私としては2020年の10大ニュースに入る出来事だったようにおもいます。
サックスを基礎から見直す
これが今年一番の苦痛だったかもしれません(笑)どれくらいの苦痛だったかというと、楽器を本気で辞めようかと考える位の苦痛でした。
基礎の見直しということでアンブシュア(楽器のくわえ方)、音の出し方、音楽への取り組み姿勢から矯正に取り掛かったんです。結果どういうことが起きたのかといえば、これまで20年やって自分が正しいと思っていたことが軒並み大外れだったという事実実態を知るようになりました。
あまりにもショックすぎて、これ以上時間を楽器に投資する価値があるのかレベルまで考えるようになるしかなかったです(笑)
でも、辞めるという選択肢は与えられませんでした。なぜか。
本番スタイルが新しく変化
こういう時に限って、次から次へと本番の機会をくださるんですよ。神様って。
抗う暇も隙きも一切なく、問答無用で続けました。(今考えると感謝なんですけどね)
ちなみに本番スタイルもコロナ禍によって変化しました。大きくいうと、2つ。
- オンラインの場合:共演者の演奏スタイルを脳に記憶した状態で録音する(聞きながら合わせるというのが不可)
- オフラインの場合:いきなり本番(リハーサルなし)
どちらの場合も新しい本番スタイルで新鮮でしたし、試行錯誤の連続でした。
オンラインは特に、自分の演奏を録画なり録音なり何回も繰り返しチェックするので、楽器を辞めようと考えていた私にとっては至難の業。イヤでも自分と向き合うわけですが、聖書で言うところの内なる人(つまり心)は「もっと良くしよう」とどんどん火がついていくのでびっくりしました。
クラシックにマーチングスタイルと、別ジャンルの制作にチャレンジしたのも大きかったです。
作品が良くなる転換ポイントは、やっぱり神様でした。
神様を呼んで「できません」「教えてください」「なんかダサいです」と本音でひと言伝えれば、①構想が頭に思い浮かぶ、②イメージとなる映像が脳裏に見える、③ひと言アドバイスが伝わってきてあっさりできるのいずれかで反応してくれます。
無観客でひたすら1対1で神様に讃美
振り返ると、2020年は神様に1対1でたくさん讃美しました。
- 3ヶ月、200曲を讃美
- ダビデの息子、ソロモンのように、1曲を1,000回捧げることに挑戦中。(これが結構ムズカシイ)
- 主日の礼拝後に一人で特別讃美を捧げる
- 感動を受けたときに、屋内外問わずひたすら讃美
芸術分野の先祖といえば、旧約聖書に出てくるダビデが有名な話。神様を見上げて、羊飼いだった少年ダビデのときも、イスラエルの統治時代第2の王となったダビデ王のときも、変わることなく神様を讃美して褒め称えました。
しかし当時の状況としては、とても歌える状況ではなかったというのが意外なところ。
詩篇にはダビデが感動した話もたくさんあるし、讃美についてもたくさん語りました。
御言葉より
ダビデは歌う立場の人ではありませんでした。
いつも死に直面していたし、人生の悩みにいつも埋もれていました。苛まれていました。
私はどうしてこんなに辛い思いをしながら生きていかなければならないのだろう」
「どうしてこんなに苦労をしながら信仰生活をしなければならないのだろう」
サウルがいつも命を狙って追いかけてきたでしょう。だから実際に歌っていても、そういうことを思っていたら歌える気分じゃなかったんです。
そういう立場でした。
どんな状況だったとしても、辛いときほど神様により頼んで、讃美をし続けたダビデは「讃美の力」を受け取ったと鄭 明析先生はおっしゃいます。「歌を歌うことで力をもらいなさいというのが核心です」と。
讃美したくなくなったときに行った、たったひとつのこと
キリスト教福音宣教会(CGM)で御言葉を聞くようになった当初から、比較的讃美はたくさんしてきました。しかし、今年の途中あたりから、いくら歌ってもなんかスッキリしなくて、讃美をしなくなってしまったんです。
そんな時、300曲讃美し続けたことでも有名な鄭 明析先生から、讃美するときに「このようにしなさい」と実践者としてのコーチを知るようになりました。
(讃美の)力をもらうためには、カッコつける必要はなくて、とにかく心情を吐き出すように歌わなければなりません。
御言葉より
このひと言によって、私は答えを見出しました。
心情を吐き出す讃美はなかなかうまくいかないこともあったけど、2020年12月31日、讃美納めをサックスをしたときに神様の心情が伝わってきたようで、涙が出てきました。
讃美で一番大事なことは、「心情の疎通、交通だ」と最近学びましたが、こういうことなのだなぁとようやく分かるようになって、とても感謝しています。
最後に:行った通りに報いてあげよう
2020年最後の主日で宣布された御言葉、「神様と聖霊が行った通りに報いてあげよう」
私はこの御言葉を聞いて感じたことが2つありました。
- 「どう考えても自分がやったこと以上にもらいすぎている(笑)」ということ
- 行った通りに報いられるなら、「一番報いられるのは神様であるはずだ」ということ
私は毎年の個人テーマを神様からいただくのですが、2020年のテーマは「この上なく神様を愛しなさい」でした。
そしてコロナ期間、神様は私に何をすることを願ってますか?と質問をした時には「私のことを知ってほしい」という言葉が心に響きました。
1年の総まとめであり、今週に行うことを統合して考えてみると、この上なく神様を愛することが私のやることであり、また目の前にやるべきこととしてあったのは讃美でした。
讃美を通して、心情の疎通ができる道が作られたこと、それは言い換えると、忠誠だけではなく神様を愛する心がつくられたのが2020年。
新しく作られた心をもって、まずは2021年神様をこの上なく愛する15日間を過ごします!
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