23:46、就寝。
1:46、起床。
2:06、再び起床。
……眠れない。
最終日の夜、カフェでコーヒーを飲んだせいかもしれません。
日付が変わる前に寝たのに、2時前にぱちっと目が覚めて、一度は寝直そうとしたのに、また目が覚めて。
実は、ぜんぜん祈れていなかった
今週の実践は、「明け方に祈る」でした。
と言いながら、正直に言うと、思ったようにできていません。
そんな私が、旅先のホテルで、午前2時に起きている。
これは祈ろう、ということかも。
そんな感じがしないでもなかったので、起き上がりました。
この時間帯の雰囲気が、好きなんです。
外は街灯だけが、しずかに光っていて、静寂。
体は疲れきっているのに、祈るには、最高のシチュエーションでした。
毎年「辞めたい」と祈っていた使命
今回の旅は、楽器の演奏のためでした。
7年前も、同じ場所へ、月明洞に演奏のために来ていました。
ただ、7年前の私には、まだ使命(教会で任されている役割)がありませんでした。
好きで、応援の演奏をしていただけ。
その時から、ずっと分からないままになっていたことがあります。
ある場面で、先生と、目が合いました。
10秒だったのか、30秒だったのか、1分だったのか、分かりません。
笑っているのでも、怒っているのでもなく、ひと言も話さず、ただ、真剣な眼差しでした。
私は、何も言えませんでした。
どんな気持ちなのか、読み取れなくて、祈っても分からないまま帰国しました。
そのあと——
使命を、たくさんいただくようになりました。
楽器の演奏も、そのひとつ。
それなのに、私はその使命を、喜べませんでした。
毎年、「辞めたいです。辞めていいですか」と神様に祈って、尋ね続けて。
でも、どうしても、辞める流れにならなくて。
感謝はできないまま、いただいた使命だからと、何も言わずに続けていました。
「結果物を見れば、分かるのではないか」
この夜、7年前のことが、解けていなかったと気づきました。
状況を、そのまま神様に伝えました。
「7年前に先生とお会いしましたが、あまりに真剣な表情で瞬間私を見たことがありました。衝撃を受けて、祈りましたが、どう尋ねたらいいかも分からず、いつのまにか忘れていました。あのとき、どんな意味があったのでしょうか。人を通して行われる神様なので、どんな心情だったのか、分かって、神様に接したいです」
すると話すや否や、珍事が起きます。
同じ部屋で、友だちが爆睡中。
私は、心の中で祈っているだけで、声には出していません。
なのに、事情や心情を深く話せば話すほど、
隣から「うん、」「うーん」と、深い相づちのような寝言が聞こえてくるんです。
本音を出すたびに、シンクロして、「うーん」。
……神様の代弁か?
あとで友だちに話したら、「何のこと?」でした。
たぶん、ただの寝言です。たぶん。
そんなこんなの絶妙さから親しみを感じた神様に、続けて本音を吐露する中でひと言、頭に浮かびました。
「結果物を見れば、分かるのではないか」
え、結果物? なんだろう??
そう思って振り返ると、こんなことが並んでいました。
・短期間でいただいた、たくさんの使命
・楽器は毎年、辞めたいと祈ったのに、毎年、辞める流れにならなかった
・年々増える「いい音だね」という反響
「その人の行ない」に従って与え、「その人に合うもの」を与えて、個性どおりに行なうようにさせます。(中略)神様を愛すること、神様の心に合うようにする行ないを見て職位(使命)を下さるのです。
2015年12月6日「備えて行ないつつ次元を上げなさい」より
学歴や外見、能力ではなく、その人の形象、性格、思考、考えに合わせて使命を与えられるとありました。一人ひとりを「貴重な人」として見て、その人が最も輝ける形でくださるのが使命なのだと。
辞めたいと思っていたあの使命は、そういう使命だったんだ。
信仰が難しかった時期も、その都度使命によって機会が来て、もっと良い方向へ導いてくださっていました。
大変だった、この数年間。
でも、実際には、ものすごく愛を受けていたんだと、分かりました。
もし、意味が分からないまま置いてある出来事があるなら、
結果のほうを見てみるのも、ひとつの方法かもしれません。
はじめの心、はじめての感謝
喜べていなかった自分に気づいて、素直に、ごめんなさいと祈りました。
そして、今回はじめて、心から「ありがとう」と言えました。
2019年、たまたま会った楽器を演奏する人たちと即席で準備した、応援の演奏。
ひたすら楽しくて、嬉しかったはじめの心。
当時の私は楽器を続けることも、ましてや大きな舞台に立つことも想像すらしてませんでしたが、はじめの心から、ずっとつながっていたのかもしれません。
今はすべては分からないとしても、神様の御言葉だけは信じてついて来なさいということです。
2026年9月27日「自分を神秘的につくって、神様のために使いなさい」より
神様が行なわれるからです。
7年かかって、「あとで」が来ました。
コーヒーのせいかもしれません。
でも、眠れなかった夜に、7年分の「なんで?」が、ほどけました。
