コロナになる前からだったのだけど、
ここ数年は室内よりも屋外で演奏することが増えました。
雨の中でも、雪が降ってても、
炎天下の中でも、強風の中でも。
あるときは大自然の中、河川敷、病院もあったし、
またある時は、ピアノが置いてあったシャルル・ド・ゴール空港で。
楽器(サクソフォン)を始めて20年以上が経ったけれども、毎回が新しい舞台で
まだまだ知らない世界で、大人になってからも新鮮で刺激的な音楽生活を続けています。
今日は長く付き合ってきた音楽について、
shukuen note.に書いてみようとおもいます。
自分の好きなところはなんですか?
このような質問をされたら、あなたはどんなことが思い浮かびますか?
わたしは、「音楽を続けてきたこと」と答えます。
仕事や信仰生活をどんなに頑張っても、
楽器を辞めない限り人生で一番長い付き合いになるのは、音楽です。
音楽ひとつのことを通して、多くの喜怒哀楽と成功失敗も経験したので、
例えば仕事でなにか失敗しても、過去の経験を応用してリカバリーできたり、なんてことも結構あります。
しかしながら、音楽もよくよく振り返ると、神様が楽器を始める機会をプレゼントしてくださり、
続けられるようにいろんな状況や環境、人を通して働きかけてくださったから
神様とのお付き合いが、あれこれ考えてみても私が知らなかっただけで、ダントツで長いんですけどね(笑)
なので、この質問の本当の答えは、「神様を好きになれたこと」
そして「神様に愛されたこと」なのだとおもいます。
忘れずに愛して生きなさい
最初、恵みの中で生きた時はどれほど甲斐があるのか、天にまで届くほど喜んでいたけれども、ある時から恵みを忘れ、初めの愛が覚めて無気力になって生きている。(中略)
主日礼拝の御言葉より
私たちは神様の恵みと愛がどれほど貴重なのか悟って栄光を帰し、自分をつくり、
愛に燃えて信仰生活をすべきときだ。
鄭明析(チョン・ミョンソク)先生を通して、主日礼拝のときに伝えてくださった神様の御言葉です。
遡ること、楽器を始めて21年が経った節目のとき、これからどのようにしてけばいいか祈ってもらった構想は「サックスの音を出すな」というひと言でした。
文字通り受け取るとコワイ感じですが(笑)、そうではなく次の段階に行ける祝福でした。
個人的に”サックスの音は卒業だ!”と思ってガッツポーズをしてしまったほどです。
神様からもらった答えの通り、サックス以外の楽器の楽譜を演奏することが続いて、さまざま研究した結果、「声みたいだね」「サックスっぽくない音で不思議でした」と言われるようになったんです。
このようないきさつの上で、はじめに書いたようにいろんな所で演奏するようにもなったから本当に良かったんです。
でも、ある瞬間の機会を通して、私は「楽器に対して無気力になっていた」、ということを悟るようになりました。
人生で2度目のヴァイオリン
少し前にお友だちの愛器であるヴァイオリンを触らせていただいたのが衝撃的に悟る機会でした。
元々、ヴァイオリンは1回弾いたことがあったのだけど、
その時は「弾いた」というより「擦った」と表現するしかなく、音が出なかったんです(笑)
だからこの時弾くのはちょっと気が引けたのだけれども、やっぱり触れてみたいと思ってご好意に甘えました。
不思議なことにどうすれば音が出るのか直感的にわかって、お友だちのスーパーレッスンを受けながら、たどたどしくも賛美歌「わが喜び、わが望み」を弾けてしまいました。
神様のために弾きたいと思ったから、できたのだと思うんですけど、
この時、一番感じたのは「最高に楽しい!!!」という気持ちでした。
楽器でこんなに嬉しくて楽しくて、それこそ子どもが遊びに夢中になるほど。喜びしかないだなんて久しぶりすぎて、この気持ちは一体何なんだろう?と思ってびっくりしました。
サックスは嫌いになるどころか、どれだけ人生かけてきたと思ってるんだと叫びたくなる位に、時間も青春も投資してきた対象です。
1音出そうものなら姿勢、アンブシュア(口の形)、息、息を入れる角度、音色のイメージなどなど、、大げさに言うと、色んなことを考えて世に出すので好きでないはずがありません。
でもヴァイオリンを弾いたときのような喜びがあったのかというと、答えは正直言ってNo.
衝撃的でした。
“がんばる”経由で行く、”無気力”ブラックホールと脱出方法
御言葉では、”自分の思考、考えが間違ったら、神様が撃つけれども、その後はブラックホールに吸い込まれる目に遭うからしっかり、いそしんでやりなさい”と教えてくれました。
わたしの場合はがんばったつもりの楽器なのに、知らない間に喜びや愛を失ってしまうというか、”喜んでいたつもり”という怖さの存在を知るようになりました。
実際に、がんばったつもりだったけれど、いつの間にか練習することが億劫になったり、越えられない壁を前にしたときに気力を失うようになったりしたことも確かにありました。
そのとき私がやったことは2つ。
「神様、わたしは今○○です。現場からは以上です!」と実況中継 (呼ぶ)
「私にはできません」と白旗を振って、SOSを出すこと (委ねる)
詳細なプロセスは割愛しますが、この後、「応答せよ」とばかりに様々な司令という名の考えが思い浮かんで、速攻実践すると次の着想が来ました。
それをまた実践して、と繰り返している内に、いつの間にかしんどい状況を抜け出しました。
結果的に得たものは、「最高に楽しい!!!」という気持ち。
神様にSOSを出してから思い浮かんだ考えは神様からきたものだとはっきりわかりました。
そしてその考えは新しく、面白く、そんなことやっちゃう?!といった類のものまで。
このスリルがかなり楽しかったです。
ヴァイオリンから学んだこと
私がなぜ、ヴァイオリンを弾けたのか。
神様のために弾きたいと思ったから、できたのだと思うんですけど、
答えは、最高に楽しいとコメントした直前に書いたもの。
「神様のために1曲プレゼントしたい」という心に神様が共にしてできた、ということです。
ヴァイオリンを弾けない自分を分かっていたから、自分の考えでやろうとせず、
直感(=神様の考え)を頼りにして、その考え通り私の肉体が行いました。
神様の考えと私の実践。その比率は90%:10%。
このように、ほとんどのことは①神様がしてくださること、②神様と一緒にするときに上手くいきます。
サクソフォンが開発されたのは、1845年。ざっと100年ちょっと前の楽器なので、まだまだ若手です。
なので私たちサックス奏者からするとヴァイオリンは大御所な存在。
楽器でも学ぶことはたくさんあるヴァイオリン大先輩ですが、まさか神様についても学ぶとは脱帽です。
いつかヴァイオリンとサックスの持ち替えとかできたらいいな。
◎申命記 8:18
あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。
Rilly.